「アド・アストラ」 究極のファンタジーとは

 「アド・アストラ」をもう一回見ようか考え中です。

来週で上映が終わりみたいなので。

 「進撃の巨人」の最後らへん(たぶん)を読んでいて、究極のファンタジーとは、心を癒すファンタジーとは、死者との対話なのかって思ったので。
もう少し詳しく言うと、子どもの頃に死んだ父親と会って、大人同士の会話をすること。

「アド・アストラ」はそういう話ですよね。お父さんは死んでないけど。

 だから「死んだ父親に会う」(死んでないけど)前フリとして命がけの超長距離旅行が、あの世に行くみたいな旅が必要で、リアルな宇宙旅行がやりたかった…訳ではないんだろうなあ…!( ;∀;)
もちろん「突然の◯!」はわたしを笑かそうとしている訳ではなく。ええ、そこは薄々わかってた…

 尊敬する人に「映画はメタファーだ」と教えてもらって、目が開かれる思いでした。

だからメタファーも裏表もなんもなく「ゴジラが大好きだからゴジラがかっこよく暴れる映画を作りました!!!」みたいなのは玄人からは評価されない…そうだったのか…
でも「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」良かったですよね。造形!映像美!音楽!ほんとそれだけでいいんだ。

 ただ「ゴジラ」で、悪の科学者が「お母さん」だったのは意表をつかれました。
謎めいた理由で失踪し、人が変わったように世界に害をなす科学者は「お父さん」が定番では?
メタファーの掟から自由なゴジラも、この世でもっとも厳しいコードからは自由になれないのか。

 あと、モナークは取り締まるべきだと思います。