「ファースト・マン」をネトフリで見た

 ごぶさたしてます!
 ネトフリで「ファースト・マン」(2019)を見たら、良すぎて滾ってしまいました…

 

 いいですよね。
 21世紀にいまさらアポロ計画の映画?いまさら??と思わせておいて、そっか、こういう切り口で来たかあ……宇宙開発の嫌なところ、恐怖に全振りかあ…(チビリ)となりました。


 いいですよね、まっっったく高揚しない打ち上げシーン…
 死刑台に上がる雰囲気のが近いんじゃない?
 コクピットに入れてもらっていろいろ接続して扉閉められるのとか、火葬場で生きたまま炉に入れられちゃうのは、こういう気分なんだろうなって感じ( ;∀;)

 中盤のヤマ、ジェミニ8号の打ち上げのシーンはすごいですよー。
 勇壮な音楽ナシ、盛大な噴射の煙もナシ、赫々たるロケットの炎もなし。
 ロケットの打ち上げが、ひたすら狭くて暗くてガタガタする司室内だけの映像で描かれてます。
 なんじゃこりゃー!
 BGM がなくて機械音だけがして、司令船の小さい窓の外をサッと横切る鳥の影、計基盤の上のハエ、死のイメージてんこ盛りでゾワゾワする。
 こ、これは娯楽なのか?
 映画の基準点のひとつが「アルマゲドン」なので、この盛り上がらなさは衝撃を受けました。

 ニール・アームストロングの映画ですから、クライマックスはもちろん月面着陸!
 ですがアポロ11号打ち上げの前、失敗して殉職した時のプレス発表の手順や原稿を確認するシーンが挿入されてて、完全にお葬式の雰囲気です。
 これ、大成功した人類の偉業の映画なんですよ?
 ここまでネガティブに全振りなんて、いっそ清々しい。


 いろいろ突っ込みを入れてきましたが、嫌いになれない。
 佳い映画だと思います。
 つまり。
 「ファースト・マン」は宇宙映画の皮を被ったメタファー映画で、修験道の奥義といっしょです。生きたまま自分の葬式を上げて、あの世に行ってそこを通り抜けて現世に生まれ直して、今度は真っ当に生きます、という。
 主人公アームストロング(ライアン・ゴズリング)は、感情の起伏に乏しい人間として描かれています。なぜなら小さい娘を亡くしていて、それが原因で心の一部が死んでるから。妻とも、一人息子ともきちんと向き合っていません。
(これはわたしの想像なんですけど、アームストロングにとって月は「死後の世界」で。そこに行けば死んだ娘に会える。ちゃんとさよならが言える…とそこまでは明確には思ってないかな…?
 日本人なら竹取物語を連想するところですが、アメリカの映画なのでそこは分かんない。)
 死んでるみたいに生きてた男が、生きながらあの世に行って死んだ娘ときちんとさよならした後、現世で生きてる妻と向き合うことができるようになりましたって「死と再生」の映画で、サービスシーンが「NASAのロケット」って作りだと思えば腹も立ちますまい。
 …それなら先にそう言ってほしかった。

 たまにありますよね…ガチ宇宙映画・SF映画を期待して見に行って、こういうのを掴んじゃうことって。
 「ゼロ・グラビティ」が割とそうだったし、「パッセンジャー」もそう、「アド・アストラ」もモロにそうでしたね。
 人はガチ宇宙映画を期待して、メタファー映画を見せられてしまった時、「クソ映画!」「超がっかりだ!」と叫んでしまうのだ…

 わたしはこの失敗パターンはさんざん踏んできて十分に学習したから、もう引っかからないよ。
 たぶんね。