『ヒトラー・コード』

ヒトラー・コード

ヒトラー・コード

 二〇〇五年、第二次世界大戦後六〇年という節目の年に、ロシアの公文書館でじつに衝撃的な文書が発見された。アドルフ・ヒトラーのごく身近に仕えた親衛隊兵士ふたりの供述をもとに、ラヴレンティ・ベリヤ率いるソ連NKVD(内務人民委員部、のちのKGB)が編纂した独裁者アドルフ・ヒトラー伝である。しかもそれはヨシフ・スターリンというもうひとりの独裁者を唯一の読者に定めた文書であった。これを衝撃的と言わずして何と言えばよいのか。
        訳者あとがきより

 またこの手の本を買っちまっただよ…
 わたしは前世、ドイツ人だったのかもなあ(嘘)


 この本については週刊誌の書評で興味を持ちました。だいたい下記のようなことが書いてあったからです。今思えば、だいたい編者(文書を発見した研究者)の解説の要約だったような気がしないでもないです。
 この本の"特別"なところは、(これもまた編者解説の下手な要約に過ぎませんが)
スターリンは、ヒトラーの死を信じなかったそうな。
「ヒトラーは西側連合軍の用意したアジトに逃れ、西側同志で結託して対ソ連の戦争をするつもりなのだだだ!!!」との被害妄想に駆られたスターリンは、ヒトラーがほんとうに死んだという証拠を求めて、詳細な調査をしたらしい。それがこのレポート。
・ヒトラーと寝食を共にしていた副官二人の証言をもとにした、ヒトラー最後の日々のレポートである。
 証言つーか、こだわりのある尋問者による、精神的拷問に等しい執拗な尋問の結果なので、きわめて正確であると思われる。
 (尋問の様子は編集者あとがきに詳しいです。"証言者"たちが味わった苦痛を思うと言葉もありません)
・こんなスゲー資料が未発表だったのは、スターリンの機密文書だったからです。
スターリンだけに見せ(て気に入られ)るために作られたレポートなので、切り口や文章がちょっと変。


 当時、ヒトラーの最後について、さまざまな証言や矛盾する証拠があったそうです。
 このレポートは、その場に居合わせた人々を捜し出してなるべく正確な証言を引き出して、複数の人の証言をつきあわせて検討するという方法で、歴史の真実に近づこうとした試みであるかも知れません。
 って「探し出して」って部分に逮捕とか抑留とか、「証言を引き出して」って部分に尋問とか拷問とかの穏やかでない手段が入る訳ですけれども…
 それから、あるジャンルでは有名なマメ知識ですが、インタビューの結果は、インタビューした人の影響を受けてゆがむのであります。一つには、インタビューする人が興味のある所を詳しく尋ねるのと、インタビューする人が事前にあるいは同時進行で想定したストーリー(ストーリーの設定は意識的なことも無意識的なこともあります)に引きずられてしまうからです。文章にまとめるなら、文章にする段階でもう一回、文章にまとめる人の持つストーリーが混じり込みます。
 このレポートもそうらしい。
 ヒトラーのことだけを書いているようで、レポートを書いた人、求めた人の影も映りこんでいます。
 それは、スターリンとソヴィエト。
 と言うようなことが、編者まえがきと編者あとがきに書いてありました。それじゃあお好きな人にはたまらん資料でしょう。と分かった気になって満足しちゃったので、本文は読まないような気がしてきました。
 この手の本は写真も楽しみです。なんと未公開写真がドーンと32ページ!
 白黒写真はハンサム度5割り増しになるよなーと興味深く見て行って、ページをめくったらグロ写真の不意打ちを受け255の精神的ダメージを受けましたorz
 い…いちばん最後のページに気をつけるんだ…(がくり)