天候のことなど

 昨日からステロイド剤の使用を止めました。
 マスクなしで外をあるいても、ちょっとくしゃみが出るかな、ぐらいです。
 天気が良かったので、久しぶりに布団を干しました。ベランダは明るくて暖かくていいキモチでした。
 わはは。花粉症よさらば!


 ちょぼちょぼと吉川英治の『三国志』を拾い読みしつつ、平行して北方謙三の『三国志』も読んでいます。
 やー、北方三国志孔明って、ホント「好青年」って感じですね!
 超越者の落ち着きはなく、一生懸命チエをしぼって仕事してる感じ。うまく説明できないのですが、「この孔明には無精ひげが生えそう(トイレにも行きそう)」と好意を持ったのでした。
 対して吉川英治御大の『三国志』は。登場人物の行動が中華的にエキセントリックで?面白いです。
 それで今回思ったのですが。
 吉川先生がモトネタとした『三国志演義』『通俗三国志*1は、面白エピソードのオチの切れ味を優先して、時にはキャラが変わってもしょうがない!って部分があったりして…?
 あちらこちらでそう思ったのですが、うーん、たとえば南蛮行のあたりとか。明らかに孔明のキャラが違ってると思う。
 南蛮行は、蛮族の酋長*2を戦争で7回打ち破って7回許し、蛮族酋長が最後には中華文明の偉大さ(メンタル面も含む)に感激して泣いて帰順を誓うって話です。*3 今までの、乱世が、とか天命が、なんて暗ーく壮大なノリとは違って、南国の明るい太陽の下?コミカルにハイテンポに進行します。
 このエピソードは後世の創作って話です。
 たしかに「7回とらえて7回放ち」ってのは繰り返しギャグの呼吸だと思いますし、7回も、ってのは白髪三千丈の国らしい念の入れようだと思います。日本だったら3回ぐらいじゃなかろうか。
 蛮族酋長・孟獲は、幼稚で自負心が強く、相手の偉大さ(=中華文明の偉大さ)を察しない阿呆なヤツと描かれています。自慢の戦法でスーパーミラクル軍師・孔明に挑むものの、まいどまいどサックリ打ち負かされます(この辺は子供に馬鹿ウケでしょう)。
 対する孔明は、あきらかに孟獲いじって面白がっている。ように見える。考えがあって大げさに演技してみせてるのかなあ、という風に見えないでもないけれど、でもやっぱり面白がってるみたいで、ちょっと前に敬愛する主君が死んじゃって息子を託されてわんわん泣いて悲壮な決意をしたんじゃなかったか、とつっこみたくなるぐらいです。
 この後また悲壮に、ジリ貧国家を一人で支えて過労死するとかいう話に(蜀視点)なっていくことを思えば、南蛮行のアホみたいな陽気さは、楽しく、悲しい。


 吉川英治の『三国志』、通称「吉川三国志」は、昭和14年〜昭和18年にかけて新聞に連載されていたそうです。*4
 『三国志演義』『通俗三国志』を下敷きにしていますが、単純な翻訳ではないそうです。
 文章は漢語が多く、簡潔です。淡々と人物の行動や発言が書かれていて、内面の描写は少なめです。(たまに吉川先生の考察が入るけど) やっぱ漢語って格好良くてズルイなあ(?)と思いながら読んでいくうちに、なんとなーく心の中にそれぞれのキャラのおぼろげな印象が結ばれていくような?
 元本には、妖怪妖術法力などスーパーナチュラルの類が平気で出てきますが、吉川版では控えめに合理的?説明が試みられています。
 高校生の頃は、合理的説明部分を読んで真剣に感心していましたっけ。
 なのに今、スーパーナチュラルがウロウロしてても合理的説明部分が説得力不足でも全く気にならないのは何故だろう。漫画の読み過ぎかしら。

*1:伝説伝承後世の創作を大胆に取り入れ面白おかしくまとめた本なのだそうです。

*2:今で言ったらラオス・タイのあたりの人々でしょうか?←超間違い!今の雲南省・ベトナム北部だそうです。

*3:もう中華思想炸裂!というか倭人も中華の人から見れば蛮族なんだし、吉川先生ったらその辺そのまんま書いちゃダメじゃん!みたいな。

*4:新聞小説って、一日量が少なすぎて新聞で追ったらワケ分かんないんじゃないかと思うのですが、どうでしょう?書く方もちびちび書くんじゃエンジンがあったまらなかろう、きっとある程度の量をまとめて書いて分割して載せるのかと思っていたのですが、どうも吉川先生は、毎日、一日分だけ書いていたみたいです。しかも翌日の分を?そして深夜まで書けず新聞社の人をやきもきさせたらしい?ほんとうでしょうか?