『光の王』

光の王 (ハヤカワ文庫SF)

光の王 (ハヤカワ文庫SF)

 うわ懐かしい。再販されたんだー?と思わず衝動買い…
 これ面白いですよ。マジ面白いですよ。インドの神さまでSF、超能力もアルヨ!と来たらこれだけでご飯3杯行けますよ!(わたしが)
 旧版は表紙が萩尾望都でねえ…。
 大好きだったから、ビニール製の高価なブックカバーでガードしてました。そしたら永い年月の間に表紙とくっついちゃってねえ…(遠い目)
 萩尾望都表紙も懐かしいですが、今度のは皇名月でこれはまたこれで…(皇なつきさんは改名なさったのでしょうか?)


 古代超文明モノによくある、科学技術を目の当たりにした原始人が「あれこそ神々の業である」と神話伝説(あまり成功していない比喩満載)のかたちで伝承した、というのの逆パターンです?
 遠い未来、ある惑星に移り住んだ人類は、古代インド風の社会をデザインした。
 支配層が科学を独占して「神」を僭称し、それ以外の人々は貧しく、盲目的に神と迷信を畏れる無知な状態に留めおかれる。そのような体制に対し、ただ一人、反逆した男がいた!彼は、支配者たちの「神話」に対抗するためにシッタルダと名乗り仏の教えを広めはじめたのだ…!
 乱暴に言えばインド神話とブッダの生涯をまぜこぜにしてSFに翻案した作品と言えないでもないけれども、でもでもでもこれがまた面白いんす。シッタルダを自称しててもそこはそれ、主人公は割り切ったペテン師だから?陰で派手なことも平気でやります。で、派手なドンパチの影で密やかに進行する主人公と死の神ヤマとカーリー女神の三角関係?が泣かせるぅ。ヤマの陰気な一本気が良くてね。
 あーあと、羅刹のボス、ターラカーとシッタルダの関係に萌えました。人外が主人公とつき合ってるうちにちょっと丸くなるってパターンは「うしおととら」を連想させハートウォーミングです。ターラカーが完全には丸くならないところも好きです。真面目にお使いをしないシーンとか大好き。(ってキャラ萌えか…?)


 この世界では「魂」をデータ化して*1、別の肉体に移し替えることができます。神々の不老不死はこの技術で演出されます。また、一般市民も老齢になれば同じ処置を受けることができますが、その時に記憶を調べられ、思想や良い行い悪い行いを鑑みて、与えられる新しい肉体のグレードが決定されます。これを業(カルマ)による輪廻転生と称します。
 支配層では、いかにも神さま!って思えるような強く美しい「肉体」を作りだして「まとう」ことも行われているようです。*2
 有力な神(=国家首脳)が事故や戦争で死ぬと、代わりの者を選び、その神らしい肉体をまとわせて後任とします。生まれつきの個性を捨てて、完全に神のなりきりをする訳です。いやらしいですねー、でもうらやましいですねー、出世すれば地位と権力だけじゃなくて、カッコイイ外見プラスお好みの性別も手に入れられるワケで。権力欲と個人のコンプレックスの裏返しが渾然一体となって区別しがたくなる瞬間ってのは最高に、なんだろう?いやらしい?…ってエッチなって意味じゃなくて、自分はああ醜くなりたくないなーって嫌悪感に3ccぐらい羨望が混じった感じです?
 脱線しました。
 男が女に、女が男に、という事も可能なようです。物語中では、男性神ブラフマン(そうだっけか?という話は置いといて)の中身は2代つづけて女性です。一人は、男性になってその上最高権力者になってハーレムを持てたことを喜び、もう一人は権力に惹かれて役を引き受けたものの、女に戻りたいと後悔します。ですが、明らかに男→女というパターンは見あたらないんだなあ*3。男→動物、子供→老人はあるんだけどなあ。男→女もちょっと見てみたかったなあ。


 注意点がひとつあります。
 1割ぐらい読み進めた所で回想がはじまります。この回想が長いのです。最後の最後、忘れきった頃に現在に戻ります。初めて読んだ時は、話が飛ぶのでとまどいました。
 回想が長すぎるんじゃなくて、6章と7章の間のエピソードを冒頭に持ってくる構成だったんだなーと再読して思いました。てへ。

*1:古いSFだからそんな言葉では説明されてなかったけど。保存もできないようでした。

*2:DNA操作という言葉は使われていません。1967年の作品だからかしらん。

*3:盗賊の王はそうかも知れない?