『硫黄島からの手紙』

 洋画なのに字幕がほとんどないという不思議な映画でした。
 微妙に考証でツッコミたくなる場面がいくつかあり、それでかろうじて洋画だったっけと想い出すような。
 ハリウッド的なけれん味も少なく、アルファベットで埋め尽くされたスタッフロールの方に違和感を感じました。
 不思議体験でした。
 封切り後、はつの日曜日、午後からの回に行ってきました。
 映画館は超満員。おじいさん多し。
 日本では『星条旗』よりもヒットするのではないでしょうか。体感的に。
 ただ、我が国以外の国と地域では『星条旗』を越えることはないだろうと感じました。理由は後述。


 「とこしえにお別れ申し上ぐ」
 「予は常に諸子の先頭に在り」
 が問答無用でわたしを泣かすのです。
 わたしはパン屋が、いまどきの嫌な若者のようで好きになれませんでしたが、最後に彼がスコップを振り回した時だけはよくやった!と思いました。
 映画自体は、ハリウッド謹製にしては散漫だなあと思って観ていたのですが、ラストの舞い散る手紙と亡霊のざわめきに、不意に劇中のさまざまな場面が胸に蘇り、嗚咽してしまいました。
 そもそも題材が、反則なんだ。


 しかしですよ。
 もちろん『硫黄島』の方が題材的に思い入れが強いのですが、映画のデキとしては『星条旗』の方が格上のように思えてなりません。
 あっちは時系列バラバラな作りでしたが、ひとつひとつの場面が磁力を持っているかのように、他の場面と強烈に引き合い、強いコントラストをなしていました。
 しかし『硫黄島』は、ほぼ時系列順に展開しているのに、なんだか散漫に思えたのでした。なんででしょう。
 散漫。
 『星条旗』が、戦闘の推移をわかりやすく伝える気は最初からなく(必要もなく)、激戦に投げ込まれた一兵卒の感覚を前面に押し出していた事を思えば、『硫黄島』に対してだけ「戦闘の流れが分かりにくい」などと批判すると的はずれとなってしまうかも知れません。
 不本意ながら徴集され前線に送られたパン屋の目の前を横切ったさまざまなタイプの軍人たちが描写されているんだと思えば…。*1
 しかし、栗林中将にケン・ワタナベをキャスティングしててそれでいいのか!と言いがかりをつけたい気持ちでいっぱいです。
 栗林中将が、立派な人柄だと描写されているのはよく分かりましたが(そしてうれしく思いましたが)、指揮官として優秀であったかどうかは、この映画では具体的に描かれていないと感じました。
 勇気と知略を備えた優秀な軍人、一軍人にしておくには惜しい国際派的な側面、そして子煩悩パパ、この三者ともが強調されてこそ萌えるのではないか!(大不謹慎発言)
 後ろ二つはいっぱい描写されててうれしかったんですけれども。
 最初の一つは、描写する気皆無とは感じませんでしたが(着任早々の行動など)、なんだか舌っ足らずに思えて不満を感じたのでした。
 そう、戦闘の流れ。
 戦闘が、初期だけでも栗林中将のペースで進んでいる描写があった方が、わたしとしては燃えたと思います。そう思うから、戦闘の流れが分かんなくて不満と思うのかも知れません。
 だって、この映画での描写では、戦闘開始後5分で日本軍は粉砕され、小集団が勝手な判断でバラバラに戦うしかなかったかのような印象で……!
 この感情はなんだろう……悔しさ、なのか…?
 不謹慎かつワガママでごめんなさい。

*1:その中でも中村獅童の格好悪さは特筆に値する!(笑)