『劇画ヒットラー』

劇画ヒットラー

劇画ヒットラー

 不幸にして、この年まで水木しげるの凄さが分からなかった。
 「ゲゲゲの鬼太郎」は何度もアニメ化され、何回も再放送したはずだが、わたしが熱心にアニメを見る年頃とは微妙に外れていた。とても不幸なことである。
 熱心に漫画を読むようになり、水木しげる作品にも手を出したが、その時はピンと来なかった。
 一つには、少女漫画に登場するような美形が出てこないためであった。
 わたしは無知な子供だった。
 もう一つには、水木しげるの描く空が怖かったのだ。真っ黒に塗りつぶされた、ねっとりと妖気に満ちた空が。


 水木しげるが、ヒトラーの伝記漫画を描いていたそうな。
 先年ペーパーバック版で再販され、ちくま文庫版もまだ健在ですが、買うならこの版だと教えられました。
 なぜなら、水木しげる氏によるあとがきが凄いからだそうです。

 ヒットラーさんは、私が十八才位の時から大いに活躍されたので、よく覚えている。

 ではじまるあとがきのタイトルは「ヒットラーさん」(さん!?)
 奥付を見ると、連載が昭和46年(戦後26年、水木しげる49歳)、単行本発行が昭和47年だそうです。問題の「あとがき」は復刻版が出版された時(平成15年)に付け加えられたのでしょうか。
 いや、たしか水木氏は先の大戦では一兵士として従軍し、片腕を失ったんじゃなかったか。もうちょっとで命まで落とす所だったんじゃなかったか。
 自分に辛酸をなめさせた張本人(の一人)として、もっと憎しみを込めて書いたとしても、誰も水木氏を責めないと思う。
 また、ヒットラーを非難する論調でいたほうが、万事につけ無難だと思います。
 なのに、「いずれにしても当時のヒットラーさんは格好が良かったネ」とかサラッと書いてあって、結びが「人間あまり無理をしちゃあいかんネ」で………
 水木翁は凄い。凄すぎる。俗世間の我々とは次元が違う。
 改めてそう感じ、正座して漫画を読もうと開いたところ、冒頭のキャラクタの顔だけ切り抜いてきてならべたとおぼしき「登場人物紹介」に腰が砕けました。
 緻密な背景を抜きにキャラの顔だけ抽出して並べると、やる気のない幽霊みたいです………
 これが見開きで、39人分。描き下ろしとおぼしきやる気のなさそうなヒットラーを加えて40人。妙に笑いのツボを刺激されて、本をとり落とし腹を抱えて笑ってしまいました。
 この漫画のヒットラーは、水木キャラです。
 エラがはっきりしないまま首につながるライン、ひらがなの「ら」の下の所のような口元。厳しい表情をしている場面では、口元は大胆にもナナメのライン一本で示されています。彼が興奮した時の、水木調鼻息を見よ。戦争末期の、弱ったヒットラーと水木キャラ独特の猫背はマッチしすぎて怖い。
 読んでいるうちに、「彼らもまた人間だったのだ」とラヴクラフトの小説の一節が蘇ります。
 味わい深い水木絵で表現されるヒットラーの日常の振る舞いと、活字で表現される戦争の流れ*1とを比べると、前者の方が段違いにインパクトが強いからではないでしょうか。水木絵おそるべし!


 それではお待ちかね(?)水木版シュペーアをチェックしてみましょう。
 アルベルト・シュペーアは都合3ヶ所、計11コマぐらい登場しています。
 もっとも強調されているのは、最後の面会のエピソードでしょうか。
 「総統じつは私は焦土作戦を実行しなかったのです(中略)どうかおゆるしください」
 とのシュペーアの告白を聞いた水木ヒットラーは、
 「きみはりっぱだ…」
 と言ってほろりと涙を浮かべます。
 しかし、事実は違ってて、告白を聞いたヒトラーは、涙ぐんだもののいいとも悪いとも返事をしてくれなかったらしいです。
 この作品でのアルベルト・シュペーアは、登場するたびに顔が違っていて、残念ながら水木キャラ化には至っていないように思われます。
 でも、あるコマで明らかに水木キャラ走りをしていて、それを見て、わたしは深く満足したのでした。

*1:そもそも字での説明とか読むのめんどくさいし!(…)