『中島敦「山月記伝説」の真実』

中島敦「山月記伝説」の真実 (文春新書)

中島敦「山月記伝説」の真実 (文春新書)

 愛ある本は美しい。


 結論から書いちゃうと、『山月記』の元ネタは中国の古潭で、同時期に同じ元ネタで書いた作家が複数いたのに、中島敦の作品だけが伝説となった。


 なぜならば、中島敦伝説を強力にプロデュースした人がいたからだ!


 『山月記』の主人公(売れない詩人)は、旧友(詩を捨てて官僚として出世した)にこう頼みます。
「とにかく、産を破り心を狂わせてまで自分が生涯それに執着したところのもの(=作品)を、一部なりとも後代に伝えないでは、死んでも死にきれないのだ」


 作家として無名に近い状態で若くして死んだ中島敦と、そのプロデューサーの関係は、ちょうど『山月記』の主人公と旧友の関係にぴったり重なる…。
 『山月記』は血を吐くような祈りの書なのか、友への遺言なのか、



 それとも呪いの書なのか。


 と要約すると暴露本みたいですが、違います。
 (あと、呪いの書よわばりもしてません)


 書いた人は、中島敦≒主人公に感情移入したりプロデューサー≒旧友に感情移入したりと忙しい。熱い。
 この本を書いた事自体、既に旧友と同じ行動をとっていると言えましょう。熱い。


 死後70年近く経ってもなお、作品で人を縛る中島敦、おそるべし。