『俺は、君のためにこそ死にに行く』
石原慎太郎氏制作総指揮の、特攻隊と知覧の母の映画です。
冒頭にシンタローからのメッセージがあって、しょっぱなから反感メーターMAXの状態で見始めました。
わたしが間違っていました。
シンタロー氏がこの映画でどのようなメッセージを世に届けたかったかは置いといて。
(これを脇に置いてはいかんのかも知れませんが)
近年の国産戦争映画で目についたウソっぽさを感じる瞬間は少なく、町の人々も「ああ、当時はこうだったんだろうな」って思わせる感じ。
淡々と、戦時下の空気を描写した佳作と感じました。
とくに前半。芝居がかったセリフは抜きで、カメラは引き気味で主張せず、淡々と。
ただ、そのせいか、誰が誰だかちょっとわかりにくかったです。
全員丸坊主だと難易度が高いね!
登場する人物の所作が、現代とは全く違っているように見えました。
まあ、わたしも戦時下を実際に見た訳じゃないので分からないですけれども、ここで名前を出すのもどうかと思われますが、たとえば『ローレライ』、あれは戦時下を舞台にしながら、原作からして現代ッ子ばかりが登場していました。明らかに。
『硫黄島からの手紙』すら、これと比べたら登場人物に現代的な所があったんじゃないかと思わされます。
女学生たちが純朴すぎて凄いよ!ちょっぴり大根なところも含めて。
二人、特攻隊員のお父さんが登場しますが、いずれも奥ゆかしく礼儀正しい人でした。
特に板東少尉(窪塚洋介)のお父さん(寺田農)が印象に残りました。
ひたすら人がいいお父さんで。
せっかく会いに来たのに、将校サマになっちゃって間もなく軍神になる息子に対して、遠慮しちゃっていると言うかはにかんじゃってるて言うか、なんと言うか、内気すぎだ!お父さん!もっと話さなきゃ!とやきもきしました。
対して板東の弟がやんちゃな子供らしく建前抜きの本音をぶつけまくりで、キャラ設定がうまいなあと思いました。
お父さんが、出撃する息子にすがるように追いかけて、
「オラの息子がこんな晴れがましいことになってしまって」
と言わんばかりに隼の翼に手をかけてぺこぺこと伏し拝んじゃうところで涙腺が決壊しました。
お父さん、特攻なんだよ特攻…
現代の感覚では、ここで期待されるお父さんのセリフは「こんなことは間違ってる!」「だからお前は特攻に行くな!」で、期待されるお父さんの感情は「怒り」ではないでしょうか。
無意識にそれを期待していたので、まったく違う展開に衝撃を受けました。
改めて、今とまったく違う時代だったんだ、と思いました。
戦後の場面にもそのお父さんが登場してました。
ちょっと年をとって、人が良く礼儀正しいところはそのままですが、卑屈にすら見えた弱気さ?が少し影をひそめていました。
敗戦で、時代が変わって、お父さんの気持ちのありようも変わったのでしょうか。
そういう細かい雰囲気が、よく出ていたと思います。
封切り後、最初の日曜日で客の入りは四分という所でした。
年配の方が多かった印象です。
ご夫婦だけでなく、30代ぐらいの娘あるいは嫁が付き添っている組み合わせが目につきました。
年齢層が高いと、後列中央から席が埋まって行く傾向があるのでしょうか?
列にならんでいるとき、みんな「後列中央」を指定して居るんでちょっと驚きました。
みんな分かってないな!隼をかぶりつきで観る映画だろうが!
わたしは、ビシッと前寄り中央を指定しました。
女一人、化粧が手抜きで(だって夜勤明けは肌が弱ってるんだもーん)、風林火山Tシャツ着用のわたしは、どう見てもヲタですありがとうござ(ry
そこまでしたのに?隼が映っている場面が意外と少なくてガッカリしました。
特攻の場面では、前寄り中央をセレクトしたことを後悔しました。ここ数年の国産戦争映画の中では群を抜くデキでとても怖かった。
異常な存在感を放つ伊武雅刀演じる大西瀧治郎の割腹シーンで再び、激しく後悔しました。
2回目行くときは素直に後列にします。
次回は、タイトルを間違えないようにしたいです。
きょうは「『僕は、君のためにこそ死にに行く』下さい」って言っちゃった。
一人称僕フェチでごめん。