谷甲州「137機動旅団」長編版 SFマガジン2019年10月号

谷甲州って、個、個人とか個性とかのこと、どう思ってんのかな。
じゃないな、なんで「個人の唯一性」や「個人の思い」が消える話を書くのかな。
 
なんで「みんなと同じ」でなきゃいけないの?
おひとりさま居酒屋、おひとりさま映画、上等じゃん。
宮崎駿だって言ってるよ。(1997)
ライフスタイルを人に合わせて変える必要はない、自分を変えて村に移り住む必要はない、ヤックルに乗って会いに行くからって。
現代は良くも悪くも個人主義が許される(そのかわり人との関わりは薄くなっていく)時代だと思っていたので、「137機動旅団」を読んで改めてびっくりしてしまった次第。
SFマガジン10月号の長編版を読んで、短編版も引っ張り出して読んで、考え込んでしまいました。
 
まあ個を封じて全体を生かすことが良いって書き方ではないですけどね〜
ネットで感想を探していて「137機動旅団」が賞を取った時の選考座談会の抜粋を見つけました。
時は1979年。
選考者は一読してすぐにベトナム戦争ソ連のことを連想してたー!!
なるほどガッテン!
ベトナム戦争、あったあった。
ソ連、あったあったあった。
忘れてたよ。うっかり。
 
こうやって時が経つと、時代の背景や空気感が忘れられて、作品単独で評価されるようになるのかな。
面白い読書体験でした。
うっかりも悪くない。
 
谷甲州は、個が均等化されてわたしとあなたの区別がなくなる話のほかにも、「わたし個人」があやふやになる話も書いてますよね?
それが怖くて繰り返し読んじゃう「終わりなき索敵」とか、自分が誰かわかる→リセットの繰り返しの「霊峰の門」とか。
谷甲州は、ぜったい臨死体験があると、それも「死んで生まれ変わるってこんな感じか〜」と思うようなガッツリとスピリチュアルなやつを体験していると思ったんだけどな~
 
ないらしいですよ?_(:3 」∠)_