『Dr.スランプ』
- 作者: 鳥山明
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/10/12
- メディア: Kindle版
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先頃、電子書籍で『Dr.スランプ』を通読しました。
まことにいい体験をしました。
数えてみると、鳥山明は25歳から『Dr.スランプ』の連載をはじめたことになりますね。
なんでこんなに絵がうまいの…。
しかも最初からうまいの…。
最初から完成されてるとしか…。
扉絵の、イラストとしての完成度の高さは何なの。
週刊連載なのに。
かっこいい車や戦車や戦闘機が丸っこくデフォルメされてるのに細部がみっしりリアルに描き込まれているギャップ。
いま見てもまったく古びてないと思います。
これが天性のセンスというものでしょうか。
おお、神よ。
アラレちゃんの天衣無縫な乱暴狼藉やウンチネタを見ても、素直に笑えない年になってしまいました。
代わりに、言葉少なに描かれる人間の善意に涙腺が刺激されてやばい。
キャラクターのメタ発言や作者が漫画に登場してあいさつをしたりするノリなどには、笑いよりも「うわあ、80年代だー」と感じてしまいました。そのノリが80年代特有という根拠はないのですが。
70年代-80年代のSF・アニメのネタを多く取り入れていますね。メインターゲットの小学生より、今で言う「大きいお友達」の方がより楽しめていたのかも?
ダメな視点で見ますと、オボッチャマンがメガネとカツラで変装するとアラレちゃんと区別がつかなくなるのが衝撃でした。
作者が描き分けできてないのと、作中で「似ている」と描写されるのは天と地ほども意味が違うと思うのですが、どうでしょうか。
アラレヘッド+オボッチャマンボディを組み合わせても服を着ればアラレちゃん(純正)で通じるのも衝撃だったな。
ダメな言い方で言えばアラレとオボッチャマンはロリとショタなので、あんまり性差がはっきりしなくてもいいし、そもそもが「同型ロボ」だから、顔も体型も同じでもなんの不思議もないのですが、
でもやっぱりジェンダーが混乱しすぎてはいないでしょうか。
ロボだけどね。
すでに80年代に日本はここまでダメな方向に振り切れていたのか!と衝撃を感じたのですが。
よく考えたら、男女が顔かたちがそっくりで服を取り替えれば交代可能ってのは、平安時代にすでに『とりかえばや物語』ですでにやられているので、べつに驚いたり悲しんだりする必要はなかったのかも知れません。
一編、ひどく違和感を感じるものがありました。
「赤い鼻緒の巻」
スポ根バレエ漫画のパロディの回です。
扉絵も、絵だけ見たら鳥山明が描いたと分からないかも。
ヒロインが「センベ子さん」(センベエさんが女装しただけ)、いじわるなライバルが「スパ子さん」(スッパマンが女装しただけ)。
女性キャラ陣はふだんと同じ姿で登場しています。
登場人物が劇中劇を演じるような構成ですが、いっさいメタ発言がないのです。
センベ子とスパ子は、この体型で白鳥の湖のコスチュームを身につけるのですか?と言いたくなるような姿(控え目な表現)なのですが、作中では誰もツッコミを入れないまま物語が進行します。
主人公とライバルがともに憧れるお金持ちでハンサムな男性は、アラレ夫さん。
このキャラもおかしい。
男装したアラレなんだけど、言動がまとも。というか普通。
こんなまともなアラレは見たことないです。
オボッチャマンだと言われた方が納得が行きます。
(ポジション的にはアラレでないとダメだと思うのですが…)
やがて悲劇がおき、最後はホラーテイストで終わります。
この悲劇がギャグで救済されないのも、最後のホラーテイストも『Dr.スランプ』の中では異色に思えるのですが…