『コーダの世界』

コーダの世界―手話の文化と声の文化 (シリーズ ケアをひらく)

コーダの世界―手話の文化と声の文化 (シリーズ ケアをひらく)

 読みかけなんでサラッとだけ。

 コーダというのは、聞こえない親を持つ聞こえる子供たちのことである。1980年代のアメリカで「Children of Deaf Adults」の頭をとって「CODA」という造語がつくられたのが始まりだ。コーダは、聞こえない親に育てられることを通して、聞こえない人の文化である「ろう文化 Deaf culture」を受け継いでいる。

 「手話が第一言語」であることは、異文化なのだそうです。
 たとえ「日本語の手話」であったとしても。
 (日本語の)手話は日本語を手の動きに置き換えたものだ、と漠然と思っていましたが、違うものなのだそうです。
 手話の使い手の「語り」が、どんなにすぐれて視覚的か熱っぽく語られているのを読んでいると、手話を学びたくなりますです。


 「我、自閉症に生まれて」のテンプル・グランディンが「映像で思考する」「脳内の立体像を動かしたり、角度を変えたり、ズームしたりできる」と述べているのを読んでびっくりしたり、自分もそれができたらいろいろ捗るだろうに、と思ったことを思い出しました。