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『青青の時代』

青青(あお)の時代 (第1巻) (希望コミックス (311))

青青(あお)の時代 (第1巻) (希望コミックス (311))

 封印解除!むかし漫画まつり!(私の周辺で)
 引っ越しで段ボールに詰めて、開封しないまま次の引っ越し、というパターンは多くの人が経験していると思います。
 そのようなゆえんで20世紀の漫画が大量発掘されて私の職場で流通しています。


 『青青の時代』は連載がコミックトムプラス1998年5月号〜2000年2月号。
 ダ・ヴィンチ2000年11月号より『テレプシコーラ』の連載がはじまっています。
 山岸先生が絵が下手なのかそうでないのか、雑なのかそうでないか、年齢による衰えが兆しているのかいないのか、しばしば議論になる点だと思います。
 そのような議論になる理由も分かります。
 漫画は、漫画家というものは、登場人物をすべて美形にしたいという衝動を当たり前に持つものではなかったでしょうか?
 足かせになるのは描き手の技量のみ、例外はストーリー上の必要性のみでは?
 最近の山岸作品では、美形衝動が薄い印象を受けます。
 解脱しちゃったのか。
 近作『テレプシコーラ』では、主人公すら落書きレベルの省略形態で描かれているように見えました。
 特に『テレプシコーラ』では茜を忘れてはいけないと思います。ミロ(google:image:ミロ)な感じの落書き顔なのに世界で勝負できる力量を持っているライバルキャラです。絵的にはホラー作品で真っ先に死ぬキャラだろうこれは。


 などといちゃもんをつけていましたが、『青青の時代』で南洋顔とハニワ顔、ぱっちり瞳と厩戸王子顔、お婆ちゃんの狂気に陥っている顔と正気に戻った顔が描き分けられているのを目の当たりにして、改めて山岸凉子はスゴイに一票。
 厩戸王子顔のヒミコの、コンディションによる見た目の変化の描き分けがなされているのも恐ろしい。
 すべてを「同じ」美形顔で埋め尽くすこと、よりも別にやりたいことがあったのでしょう。と優等生的にまとめる。


 もっとも、描き分けがどうこうよりもヒミコは怖かったです。妖怪的に。オバケ的に。演出の勝利だと思います。


 コミックス最終巻(の足りなかった所)には『牧神の午後』(1989年)が収録されています。
 9割の登場人物の顔が「きちんと」描かれているのに驚かされます。描き込み密度が10倍ぐらい違うように見える。
 これ見ちゃうとなあ…やはり解脱しちゃったのかと………
 『牧神の午後』はあっちこっちに収録されていますね。メイン作品として単行本化されたこともあったはずだ。
 なのにイイ感じに忘れていてまた読んでしまいます。面白い。悔しい。