『三大陸周遊記 抄』--職業:旅人
- 作者: イブン・バットゥータ,Ibn Battuta,前嶋信次
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2004/03
- メディア: 文庫
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その名ははるか遠い昔に、西洋のマルコ=ポーロと対で暗記した記憶が。
地中海のアフリカ側の西の端出身で、エジプト経由でメッカに詣で、その後さらに東進してインド、北京?まで(北京はホラという説あり)旅したそうです。
名前がうっすらと記憶にあるので親近感を持って(錯覚)軽い気持ちで手に取りました。
が、ぺらぺらと見始めてすぐにわたしのアタマの中は???で埋まりました。
21歳で出発して、故郷に帰ったのは46歳。
「メッカ巡礼してくる」と言って家を出たそうですが、巡礼した後もさらに東進してぜーんぜん帰らないってそれは、
そ れ は 家 出 で は な い の か 。
よっぽど家で嫌なことがあったのでしょうか?
「お前、お前、本当に行ってしまうのかい?お父さん、お父さん、いいの?いいのそれで?お父さん!?」とおろおろと涙をこぼす母。
旅立つ息子に一言も言葉をかけず、背を向けて酒をあおる父。
父の背中を険しい表情で一瞥し、背を向け東へ向けて歩み出すイブン・バットゥータ。
一度も振り返らないまま遠ざかっていくイブン・バットゥータの後ろ姿を、電信柱の陰から涙を流して見送る姉、的なビジョンが脳裏に浮かんでしまったのは、ぬくぬくと炬燵にあたってビールを飲みながら本を眺めていたためかも知れません。
次の日は二日酔いでたいへんだったよ。
当時、メッカに行くと言えば、親は許すでしょう。むしろ褒めるでしょう。
この人は法律学者のようですから、イスラム世界の中心地まで行くのは意義のあることでしょう。留学としても。ハク付けとしても。メッカには3年留まっています。
その後、どうして旅を続けたのでしょうか。
故郷に帰って「メッカ帰り」の肩書きでブイブイ言わせたら良かろうに。
せっかく遠くまで来たのだから、もうちょっと足をのばしてみよう、と勿体ない気持ちになったのでしょうか。浦島太郎のように「ただ珍しく面白く、月日のたつのも夢の中」で気付いたら何十年も経っていた、のでしょうか。
それとも、イブン・バットゥータは最初から故郷へは戻らないつもりで出発したのか。
だとしたら、いつどうして、故郷に帰って定住しようと思ったのか。
そこが知りたいのに、この本には書いてないのです!
と一瞬思ったのですが、斜めに読んだので、目に入らなかったようです。
もう一度見てみたら、ちょっと書いてありました。
中国からずっーと引き返してきて、ダマスクスで「息子」の消息を探す。20年前、この地に身重の妻を残して東へ旅立ったそうです(鬼だな!)*1
息子は、12年前、つまり8歳ぐらいで世を去っていたと知らされます。
続いて父は15年前に世を去ったが母はまだ存命と知ります。
なんとなく、この辺りで「20年も!?」と我に返る思いがしたのでは、と空想してしまいます。
ですがその後も数年はバクダットやメッカやカイロをふらふらしていましたが(?)、ようやく故郷に足が向いて、あと少し、という所で母の病没を知ります。いったんは故郷に戻ったものの、すぐには居着かず5年ぐらいイベリア半島やアフリカを放浪したことと、母の死は関係があるでしょうか。
イブン・バットゥータと、まじめに家業を継いだ弟夫婦(家業が何かは分かりませんが)が衝突する絵が脳裏に浮かぶのですが、これはビールが回ってきたためでしょうか。明日も二日酔いか。
この本の元タイトルは『都会の珍奇さと旅路の異聞に興味もつ人々への贈物』
イブン・バットゥータの冒険の記録を残したいと考えた王さまが、学者に命じてインタビューを本にまとめさせたものです。
14世紀のイスラム世界の様子を生き生きと伝える書として評価が高い本ですが、今ひとつ、イブン・バットゥータ自身への(女性週刊誌的な)興味を満足させるものではないと思いました。
編纂した学者さまが(女性週刊誌的に)面白いところをバッサリやったんじゃないかと疑っています?