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中島敦『南洋通信』

南洋通信 (中公文庫BIBLIO20世紀)

南洋通信 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 自分ちの本棚がサプライズに満ちている。
 引っ越しの時に持ってきたはずの本が見あたらず、処分したはずの本が出てくる出てくる。
 引っ越しの時の蔵書の整理に別の選択をした、別の平行宇宙へ紛れ込んでしまったのでしょうか。


 中島敦は、1941年7月〜42年にかけて、パラオに赴任していたそうです。
 この本には、彼の南洋ものの短編と、赴任先から家族や知人へ書いた手紙が日付順に収録されています。


 何かひっかかりませんか?


 通信Iの手紙の日付が月と日のみで年が明確に書いていないこと、これは本を編集した人の仕掛けではないでしょうか。
 というのは(自分の無知を棚に上げて)穿ちすぎの意見でしょうか。
 カバー見返しには1941年の文字が見えますが、まあ、目次を見て順番にページを繰って行くと、日付は書いてあるけれども、何年の手紙かはちょっと分からないようになっています。
 サイパン・トラック・ヤルークと後の歴史を知る身には胸騒ぎのする島々を、東西4500kmぐらいの広いエリアを不便な船と飛行機を乗り継いで出張して回りながら、中島敦は、ほとんど日記のように手紙を書き続けます。
 手紙の中で、家族と離れていて寂しい日本が懐かしいとしきりとこぼし(なんかもうびっくりするぐらい寂しがり屋で子供好き)、病弱な自分の身を嘆き、思うようにならぬ人生を嘆いています。
 合間に海と空の青を賛美…は最初の頃だけで(帯に引用されている一節「海ノ青サを見セテアゲタイナ」はあまり適切ではないかもだ)、後半は家族と離れて寂しい寂しいばかりで南洋の自然のことはあんまり書いてないかも。
 7月頃、赴任当初には日本の花々と隔絶したたたずまいの南洋の植物に興味を抱いていますが、12月にはうんざりした感じで「こちらは年中ヒビスカスの真っ赤な花が目をさすようだ」……まだ1年たってないよ敦。
 そして、日本の自宅の庭のことばかり思い出しています。
 12月7日には、島の教会の日曜のミサの様子を書き、転校したばかりの長男(小2)の成績を気遣い、成績が悪くても叱らずに受容的に接して欲しいと妻に頼んでいます。ちょっとくどいくらい。末尾は「お前達は、もう世田谷の生活に慣れたろうが、しかし、オレの想像の中には、本郷町の家にいるお前達しか、浮かんでこない。オレの書さいの机の下にゴソゴソもぐりこんでくる格や、スコップをもって、花だんをつっついている格や、家の前の道で遊んでいる桓や、牛屋のだんだんの所でオレの帰りを待っている桓や、台所でおかしな歌をうたいながら、仕事をしているお前やそんな昔のすがたばかりが何時も目の前に浮かんできて仕方がない」


 佐々木譲が解説でサラリと格好良く指摘しています。

 読者はまず通信Iの家族に宛てた手紙を読み、それからその日付に目を落として、ある種のサスペンスを感じることだろう。昭和16年と言えば日米開戦の年であり、この当時西太平洋にもひたひたと戦争の気配は迫っていたはずだからである。


 翌12月8日、日米開戦。
 中島敦は、この報をサイパンで聞いたようです。
 いそぎパラオにもどり、次の手紙は12月14日、書き出しは「いよいよ来るべきものが来たね。どうだい日本の海軍機のすばらしさは。ラジオの自由に聞けるそちらがうらやましいな。」
 家族を安心させるためでしょう、サイパン・パラオには未だ危険が及んでいないことを強調し、その一方で、送金や郵便がちゃんと届くか心配しています。やはり戦時だからでしょう。
 次の手紙では、郵便が検閲されるから、と家族に注意をしています。
 あまり詳しくは書けないこともあるけれども、行間から察して欲しい、と。


 思えば、中島敦パラオに赴任していたのは、ここが日本の領土だったからであり、彼の仕事は、南洋の人々に日本語と日本の習慣と価値観を教える教科書を作るための下調べでした。*1


 中島敦は、開戦前の約半年、開戦後の数ヶ月を帝国の南のフロントラインで過ごしたのです。


 書簡集がIとIIに分割されていて、間に短編が挿入されている構成、IとIIの分割の位置など、↑一行のインパクトが最大になるように計算されているように思えました。
 そして鈍い子のために、だめ押しの佐々木譲の解説。
 見事な構成の本だと思いました。


 この翌年、昭和17年に中島敦は退職し日本に戻ります。
 与えられた仕事の不毛さにうんざりしてのことのようでもあり、南方の暮らしに健康を害してしまったためのようでもあります。
 退職後は専業作家として身を立てたいと思っていたようです。
 しかしこの年の12月4日、持病の喘息の悪化のため世を去ります。享年33歳。

*1:もっとも、こんにちの価値観でもって、彼の職業選択の善悪を決めつける訳にはいかぬと思います