『海神記』

海神記 上 (光文社コミック叢書“シグナル” 6)

海神記 上 (光文社コミック叢書“シグナル” 6)

海神記[下] (光文社コミック叢書〈SIGNAL〉 (0007))

海神記[下] (光文社コミック叢書〈SIGNAL〉 (0007))

 積んである本を読んで、手放すか手放さないかハッキリさせようキャンペーン中です。
 これは手放せないことを知りました。
 積んであった(読み切れなかった)のは、大判で厚くて紙が上質で、つまり重くて、寝転がって読むと腕が疲れて10頁と読めないせいでした。
 顔の上に落とした日には命に関わる。


 あと、冒頭のストーリーが茫漠としていて目が滑る。10頁で面白くなったりは、しない。
 起きてちゃんと読んだら、上巻後半からむちゃくちゃ面白くなりました。
 理由を考えてみます。
 前半は、要約すると「何を考えているのか分からない神と、ひとやまいくらの無力な人間たち」で終わっちゃうような、生のままの神話っぽさが「目が滑る」というか、言葉で面白さを伝えようとすると、茫漠としていて言葉にしにくい感じがするというか。
 上巻後半、百済の将軍が出てきたあたりから?キャラクターが増えてきて人間ドラマっぽくなってきて、フツーの漫画の「面白さ」濃度が上がってきているように感じました。


 わたしは、豊玉姫とサイモチの神のエピソードが特に面白いと思いました。


 怪獣アクションが燃えまする(それか)


 豊玉姫のきれいな小箱のエピソードは可憐だし、冒頭と豊玉姫の去り際で二度繰り返されているのが上手いと思いました。
 そんでね、サイモチの神がただでかいだけじゃないの。
 人智を越えた強大さ(対面した時の恐怖)がくっきりと表現されているし、無力化された所もくっきりと表現されているように思います。
 この部分は、漫画として非常に動きがあって、諸星作品ではあまり見ない種類の面白さがあるように思います。


 こう、申し訳ないんですが、諸星キャラで美しいってあんまり思わない…かも…
 のですが、豊玉姫は美しいと思いました。
 美しいだけじゃなくて、諸星キャラには珍しく(?)動きがあって印象的だと思いました。
 特にそう感じたのは豊玉姫とイソラが問答している場面です。
 この「動きのあるポージング」をどう説明しようかと思案しながらこの場面を見返して、諸星先生は、シンクロナイズドスイミングを参考にしたのかなあと思いました。


 ( ゚∀゚)・∵. ブハ


 わたしは、諸星作品に外来語が出てくるだけで、ミスマッチに思えて笑ってしまって駄目なのです。