『大統領暗殺』

 きょうは、映画を3本ハシゴするつもりで、弁当持参で家を出ました。
 『大統領暗殺』は、タブーに触れるキャッチィで刺激の強い題材で人目を引くキワモノ映画かと思った(ので1本目に選んだ)
 のですが、コレ1本で満足感があったので1本で帰ってきました。


 2007年10月19日のブッシュ大統領暗殺から新愛国者法成立後までを描く嘘ドキュメンタリー。
 大統領暗殺後の国際情勢をシミュレートする的なコピーは嘘だと思いました。
 犯人捜しがメインじゃん。


 前半は大統領暗殺までを、関係者へのインタビューを通じて描き出す趣向。
 抑えた語り口の間から不安や悲しみが立ち上ってくるかのような。
 ホテルを出る時に撃たれるんだな、と自然に分かっちゃうのですが、嘘ドキュメンタリーだと知って観ているにもかかわらずザワザワとした胸騒ぎを感じました。色調とか、間なんですかね。
 後半は、実行犯は誰か、黒幕はいるのか、との謎解き要素を含んでいます。
 思ったより抑えた筆致、ていうか地味だと思いました。
 が、難解すぎず、簡単すぎず、ちょうど良い歯ごたえが満足感につながった。のか?
 おそらく、宇宙船がドバーンとかペルシア軍がドドーンとかの目を奪う華々しさ目当てで映画館に通い始めたけれど、さいきん演技の間を読み取るのが面白くなってきたかもーなお年頃は夢中になりそう(それはわたし)


 登場人物たちは、真犯人と、事件に付随して起きた出来事を知っていて、それをふまえてしゃべっている、けれども観客は、その前提を知らずに観ている(嘘ドキュメンタリーだから)
 そのギャップに「ひっかけ」が仕込まれています。
 ふつうのドキュメンタリーなら、犯人あるいは有力容疑者の顔と名前ぐらいは観客は知っているので映画に出てくればすぐ分かるけれども、これは嘘ドキュメンタリーだから、この人は誰なんだろうな、と思いながら観ることになります。
 ふつうのドキュメンタリーなら、この人は犯人あるいは容疑者の奥さんですよと観客に分かるようなテロップが入るんだろうけど、これはわざと入れてないんじゃないか。
 冒頭で「自分の行動が引き起こす結果を考えなかったのか」と涙ながらに暗殺犯を糾弾するムスリムの女性は、この映画の中でどんな位置に立つ人なのかなあと疑問に思いながら見始めて、中盤すぎに分かって、じんわりと面白い。
 なんで○○さんの家族へのインタビューをここに挿入するのかな、と思いながら見ていると3分後ぐらいにだんだん○○さんが犯人だと示唆してるんじゃないか?と分かってきて、じんわりと面白い。
 でも、○○さんが犯人にしては、なんだか微妙に話がかみ合わないな、変だな、と思って観ていると3分後ぐらいに別の犯人が示唆されて、自分はなかなか察しが良いじゃないか、といい気分になります。
 「3分」はいま適当に言っただけですが、変だな→そうだったのか、の時間差が「痛がゆい」的な気持ちよさ。
 そんな映画だったと思います。


 おそらく、制作者の「ひっかけ」を探しながら2回目を観るとすごく楽しいと思います。
 いま思うと、前半部に犯人のヒントがあったような気がする。確認したい!


 最後に斜めの意見を書きます。
 FBI捜査官と、鑑識の人のアンドロイドっぽさに受けました。
 どんな職業であれ自信にあふれたプロから仕事の話を聞くのは楽しいものですが、例外もあると知りました。
 おそらく、大事件だ!と色めき立つのはFBIにとって「燃える」楽しい場面なのでしょう。
 でもノリノリで楽しそうに語られても引く。なんか引く。
 だってはじめに「殺人」ありきでしょ、そして「犯人探し」というのが、なにか他罰的ちゅうか、他人を疑い、貶める要素があるような気がする。
 「シークレットサービスが失敗してからが我々FBIの出番です」
 「リストの中のムスリム系の名前から調べはじめました。差別じゃありません。捜査の定石です」
 名前がムスリムぽいってだけで犯人扱いされたらすごく嫌な気分だろうな、70年ぐらい前にはそこは「日系」だったのかな、とか…
 アンドロイド度では鑑識さんの方が上かと思いましたが、違いました。
 ラストでFBI捜査官氏がアンドロイド顔で「新愛国者法ができてから仕事がやりやすいです☆ ぜったい共犯者を見つけます!」と熱〜いプロ魂を吐露して下さって、わたしはドン引きでした。必見。
 この「ドン引き」感が、制作者が訴えたかった今のアメリカに感じる違和感とか危機感なのでしょうか?