『封神演義』完全版
この漫画は好き嫌いが分かれる漫画だと思います。
嫌われる点として、
- 絵がどうしようもなくヲタク臭い
- 原作とぜんぜん違う
- ストーリーがぎこちない
- 微妙すぎるギャグとヲタク丸出しのパロディ
- 腐人気がすごすぎる
あたりでしょうか。
この作品が週刊ジャンプに連載されたのは1996年〜2000年です。
連載開始後間もなく、燎原の火のようにコミケを席巻したと聞いています。
同時期には『るろうに剣心』(94〜99年)が連載されていました。
「御三家」『ドラゴンボール』(84〜95年)『スラムダンク』(90〜96年)『幽遊白書』(90〜94年)が終わった直後の時代です。
うろ覚えの記憶でものを言えば「女の子なのにジャンプを読んでるなんて珍しいね」と言われた最後の時代じゃないかと思います。
なんとなく、ジャンプ自体が女の子を想定読者層として意識しだしたのが2000年前後のような印象があります。(この辺は詳しい人に教えてもらいたいところです)
読み返して感じたことは、記憶よりも正統派ジャンプ漫画の香りが濃厚にあったと言うことです。
ただ、展開がガチャガチャしている?と言うのか?
割と王道的なモチーフを持ってきている(例:感情を持たず力押し一辺倒だったナタクの成長とか)と思うのですが、どこか舌っ足らずで余韻が足りない。感じ。
すぐに微妙なギャグパートをはじめないで、もうちょっと余韻があったらいいんじゃないかって言うか、泣く暇がねぇ。みたいな。
ちゃんと余韻があってゆっくり浸れたのは、聞仲と主人公の因縁づけと、聞仲退場のあたりぐらいだと思えます。思えば、聞仲はこの漫画では珍しく自分からはギャグを言わないキャラクターでした。
正統派ジャンプ漫画っぽく盛り上げたあと、しばしば直後に微妙なギャグを入れて雰囲気をぶち壊すのは、主人公/作者の照れなのでしょうか。
いや、むしろ。
作品自体が正統派ジャンプ漫画のパロディだったんじゃなかろうか…
最終決戦は、はっきり言って鳥山明に怒られそうな感じです。
しかし。
「スーパーサイヤ人」となった主人公が、己の非力さを仲間との団結と(こそくな)知恵で補ってきた主人公が、真の力に目覚め、最終形態のラスボスと拳と拳のガチバトルを…なのに…
その最中に顔がギャグバージョンになるなんてありえないと思います!
と思ったんですけれども、ギャグ顔でかました技はキン肉マンのキン肉ドライバーであって、パロディなんだからマジになるなよ、というメッセージだったのでしょうか。
やはり、作品自体が正統派ジャンプ漫画のパロディ…?
わたしが藤崎作品を好むのは、絵です。
背景とコスチューム。
そして、学研の「ムー」の愛読者のにおいがするところです。
オカルト好きにも文系と理系がいるんですよ!
と主張されてもお困りかと思いますが、ス×リチュアルとか魂のなんちゃらとかあっち系じゃなくて(あれらの人々は「オカルト」とくくられると怒るのかも知れませんが)、
オカルト現象にエセ科学的な説明付けを試みたりとか、なんちゃって学問体系に走ってしまう系の。その意味では哲学も見逃せないジャンルだけど、独学の悲しさ、ちょっぴり半可通のかほり。
ど真ん中です!
藤崎氏がこの「におい」を身にまとっている限り、ずっとついて行くと思います。
こんかい一気読みして最高にワクワクしたのは、女禍ですねー女禍。
デザインは突飛(花魁の格好をしたリトルグレイ)なのに、登場シーンでは間違いなくラスボスのオーラをまとっている。鳥肌が立ちました。
描いた人の愛でしょうか。
花魁の格好をしたシワシワのリトルグレイが本気で可愛く見える瞬間があるから困ります。目がおかしくなったのかと思いました。
女禍と伏羲の再会シーンは、美しくて見入ってしまいました。
片方リトルグレイなのに。
最終形態もまた美しい。異形の美しさ。たまらんー。
完全版は版が大きいから、集めたらかさばって置き場所に困るだろうなあ、と今までためらっていました。
実際、いま置き場所に困っています。
でも、大きい版で一気読みすること、描き下ろしのカバー絵を間近で眺めること、カバー下の下絵にびっくりすること、それらは置き場所云々とか経済的打撃などの形而下的苦痛をはるかに上回る至福です。
ストレス万歳。オトナ買い万歳。