『国盗り物語』
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1971/12/22
- メディア: 文庫
- 購入: 1人 クリック: 20回
- この商品を含むブログ (30件) を見る
- 作者: 司馬遼太郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1971/12/22
- メディア: 文庫
- 購入: 2人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (34件) を見る
後編の3・4巻が信長&明智光秀篇。
信長は世界史選択のわたしでも知ってます。光秀だってわかる。
それで軽い気持ちで3巻を開いたら、止まらなくなりました。
面白い。
面白いにも色々ありますが、漫画にアニメにゲーム漬けで育ったわたしが居心地の良い面白さです。
と説明してお分かり頂けますでしょうか。
「日のもとに新しきものなし」という言葉がありますが、漫画とアニメとゲーム漬けで育ったわたしが思う「定番」とか「正統」とか言うものは、漫画アニメゲームのそれが成立する以前に、既に、確立していたのかも知れません?
光秀などは、ハンサムであると言葉で形容してあるのは数カ所だと思いますが、勇敢さ、志の高さ、振る舞いから、読んでいて長髪の涼しげな美青年としか思えませんでした。しかもアニメ絵でも違和感ない感じ。
一人で小隊を撃退する場面があったので、なおさら主人公補正で人間ばなれした戦闘力を持つ漫画のキャラクターのように思えました。
話がすすんでも、わたしの頭の中では光秀は長髪の美青年(アニメ絵)でした。
ところが。
光秀を形容する言葉として、
「金柑頭」(by信長)
が急に出てきて、本をぼとりと取り落としてしまいました。
気がつけば、いつしか話(時代)は進んで、光秀も中年〜初老となっていました。
アニメ絵じゃおかしい年頃です。
物語の冒頭、ユニークな時代の先駆者であり、変なところがきわめて魅力的に思えた信長は、性格異常者となっていました。
あれほど勇敢で知的で爽やかな美青年だった光秀は、性格異常者の上司の下で神経衰弱です。
序盤の、浪人時代の光秀と細川 藤孝(幽斎)との友情には、まあ、ちょっとドキドキしていた訳です。ちょっとだけね。
細川藤孝は年を取って、いつの間にか高度に政治的な生き物になり果ててしまい、あの友情はなんだったのだろうかと。
本能寺に至るストーリーの流れ自体は、すとんと腑に落ちるものでした。
が、前半が人物の長所が強調され、後半、短所ばかりが強調される点が、、、
いや、長所も短所もあるけれども優れた人物二人(信長と光秀、いずれも斎藤道三に高く評価された人物ということになっている)が、いつしかお互い短所の部分(プラス思想の違い)ばかりに目がゆくようになり悪循環となって破局へ突き進む、それこそが小説の醍醐味だと、、、
いやそれは分かっているのですが、個人的感傷として、前半と後半、別個の物語として楽しみたかったように思いました。
次は秀吉の話が読んでみたいです。