『黒の碑』
- 作者: ロバート・E.ハワード,夏来健次
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1991/12
- メディア: 文庫
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通っていた高校の隣の図書館に、国書刊行会の『ラヴクラフト全集』があったのがなれそめでした。そういうことで。
うっかり進学校に入ってしまって、肉体的にだけでなく精神的にも近眼であったわたしは、型にはまった進学コースを力つきるまで走る以外の生き方があるとは想像することができませんでした。
だからこそ、ラヴクラフトの世界に引き寄せられたのだと思います。
日常こそが夢、日常こそが偽り、その裏には全く違う世界が広がっている。
そして日常から飛び出す勇気のなかったわたしは、日常のはしばしに見える、いっけん相互に無関係で意味のなさそうに見える兆しを拾い上げ、再構成すれば全く違う真実の風景が見えるという、だまし絵のような世界に心引かれました。
ラヴクラフトが生きた20年代アメリカの田舎は、わたしたち戦後の日本人が「日常」と言い切るにはずいぶん遠い世界でありますけれども。
別にぬとぬとぐちゃぐちゃや触手やスプラッタが好きな訳ではないのです。本当です。
コナン・ザ・バーバリアンの産みの親、ヒロイック・ファンタジーの始祖、ロバート・E・ハワードは、ラヴクラフトの弟子で暗黒神話の担い手でもあります。
待ちかねていた本がとうとう再版され、やっと手に入りました。山形嫌い。仙台尊敬。
冒頭の「黒の碑」が端正な神話作品で身もだえしながら読みました(青心社の「クトゥルー4」にも載ってたけど)
端正すぎてオチが読めちゃうのに、それがまた見事な演舞を見せられたように心地よい。続けて味わうと型にはまった展開と型にはまったオチに胸焼けしますが、少しすると無性に味わいたくなるところはチキンポットパイのようだ。
ずいぶん簡単にシュトレゴイカヴァール見つけちゃいましたねとか、崩れた塔を一人で一晩で発掘しちゃったんですかとか、考古学的に意義がありそうなのに今まで誰も発掘してなかったのですかとか、文化庁に許可もらわなくていいんですかとか、羊皮紙がよく腐ってなかったですねとか、いろいろツッコミたい所もあるけれども、いい。
そもそも慄然とか暗黒の劫初とかの、程良く込み入った画数を持つ、陰鬱な見慣れない漢語(?)が好きなんです。それだけでご飯3杯いけますよ。
字面が、と言ったら白眉は『無名祭祀書』だと思います。
ラヴクラフトが魔導書『ネクロノミコン』を創作したように、ハワードは魔導書『無名祭祀書』を創作しました。
内心、魔導書の王『ネクロノミコン』より『無名祭祀書』の方が漢字の分、カッコイイと思っています。それに名前が「無名(なまえがない)」ってどうよ。この拗くれ加減。たまんねえ。
また、「無名」から「無明」が連想されて*1、原語(ハワードはアメリカ人だから)の"Nameless Cults"にはない迫力が加わっていると思います。日本人に生まれて良かった。
あと、まえまえから疑問に思っていたのですが、『無名祭祀書』には"Unaussprechlichen Kulten"というドイツ語名も設定されています。
"Unaussprechlich"を直訳すると「言葉では言い表せない」という意味の方が強く出るように思いますし、"Nameless"にも同じような意味もあったような気がするのですが?
ああ、でもやっぱり『無名祭祀書』がいいです。字面的に。
先日、コナンシリーズの感想を書いたときに、『クトゥルー神話事典』のハワードの項から、少々意地悪な引用をしましたっけ。
わたしは、彼は精神的に危うい人だったと想像しています。
地域社会になじめない感覚、ひ弱な文学少年だったコンプレックスを、己の肉体を改造し筋肉で鎧うことで隠そうとしたのだと。
コナンをはじめとする肉体的にも精神的にも屈強なキャラクターたちと、作者のハワードを足して2で割ると、しなやかで強靱な心を持った一人の人間になるのではないかなあ、とかそんな勝手な想像。
もちろん、こんにちまで星霜に耐えた実績といまでも色あせぬ魅力を思えば、たんに「理想の自分を書いただけ」とは異なるのはすぐに分かります。
それでも、彼を創作に駆り立てた力の一つに「精神的な危うさ」があったのではないかと、想像します。
デイヴィッド・ドレイクの書いた「序」では、ハワードの生涯について解説した後に、こう結ばれています。
かくて、ロバート・E・ハワードが生涯を生きた世界は、彼をきわめて特殊な不幸に陥らせた。だがもし彼がもっと明るい世界に生きていたりしたら、そのときはわれわれ愛読者が不幸に陥ることになったはずである。
印象深い作品を生み出した人々が、何かが欠けている苦痛と引き替えにこれらを生み出したかを考えると、ただ面白い面白いと言って喜んでいていいのか疑問に感じます。
こんな事を言うのはとても酷いことだと思うのですが、ハワードは故人ですから、すこし、気が楽です。
葛藤するのは、いまも生きていて(苦しみながら)作品を作り続けている人々を思った時です。
それでも、すぐれた作品を生み出し続けて欲しい、と受け手としての勝手な欲望を押さえることができません。
本当に勝手な欲望です。
*1:この連想はわたしのオリジナルかも知れません(恥) なぜならば、読み間違いが介在しないと連想が成立しないからです。前者は「むめい」で後者は「むみょう」です。いま辞書引いて確認しました。