吉川英治の『三国志』とシチューライス

三国志(8)(吉川英治歴史時代文庫 40)

三国志(8)(吉川英治歴史時代文庫 40)

 たとえば日本における豊臣秀吉の如きは、犀眼、鋭意、時に厳酷でもあり、烈しくもあり、鋭くもあり、抜け目もない英雄であるが、どこか一方に、開け放しなところがある。東西南北四門のうちの一門だけには、人間的な愚も見せ、痴も示し、時にはぼんやりも露呈している。彼をめぐる諸侯は、その一方の門から近づいて彼に親しみ彼に甘え彼と結ぶのであった。


       吉川英治 『三国志(八)』より

 吉川英治の『三国志』は、五丈原で一段落しています。
 我が国において「三国志=桃園の誓いから五丈原の間の物語」という印象を形作ったのは、吉川英治かも知れません。
 吉川英治の『三国志』では、ラストの五丈原の巻のあと、「篇外余録」と題して、晋の成立までのことがさらりと書いてあります。
 その冒頭の章は吉川英治による孔明評です。
 章のタイトルはあまりにも、あまりにも有名な「諸葛菜」
 (三国志大戦で君主名に選ぼうとしたけれども、名前負けしそうだと思って思いとどまりました)
 引用したところは秀吉の話ですが、この後に孔明のことが続きます。
 吉川英治曰く、(秀吉と比べ)孔明は真面目すぎて私生活でもスキがなさ過ぎ、凡人には近寄りがたい、怖い、という印象を与えていたのではないか、魏・呉に比べ蜀に人材が少ない印象があるのは、孔明のスキのなさ、近寄りがたさにも関係していたのではないか、と。
 その説の真偽のほどはわたしには分かりませんが、完璧すぎる人よりも、どこか抜けたところもある人の方が親しみを憶えるという感覚はよく分かります。
 ですが。
 石田ショーキチさま。
 ソロツアー初日を今週末に控えて、今頃リハーサルに集中しているんだろうなあ、その意気込みのほどが公式HPで語られてるのかなあ、本気すぎて怖くて近寄り難い感じなのかなあ、と思いきや、
 今日の日記がシチューライス礼賛とは…どういうことなのでしょうか…。
 マネージャーの樋口さんという方も、口調こそ丁寧ながら急所を押さえたカウンターをする、たいへん面白い文章を書かれるのでまいかい楽しみにしているのですが、この件に関してはカウンターどころか手放しでシチューライス絶賛で、もうどうしたら…。
 日記ではこんな感じでも、本番は本番で超本気、そのギャップがとても格好イイと思います。
 が、シチューがご飯のおかずになるかどうかは、きわめて疑問に思います。
 チキンポットパイの中身で決まりではないでしょうか。