『邪魅の雫』

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

 たしかに、シリーズを重ねるごとに、どんどん厚くなって行くのを(も)、楽しみの一つに数えていました。
 処女作からすでに表紙面積と厚みの比率が、平均的な新書のプロポーションから外れていて、そう、やりすぎたデフォルメみたいに本なんだけどどこか本っぽくないところが面白いなと思っていました。
 その上、シリーズを重ねるごとに厚く。
 「次はもっと厚いに違いない」という期待を、長らく裏切らなかった作者の姿勢に、敬意を憶えずにいられません。
 でも、もういい、もういいよ。
 そう思ったのはいつだったでしょうか。面白半分に、厚さについてはやし立てた自分の無責任さを猛省しました。ほんとうに悪いことをした。
 こんかいは(も)、ほどよい厚みでほっとしました。
 やあしかし、冒頭の、誰の独白か分からない抽象的な話は正直、読むのが苦痛でござった。いきなり挫折しそうになったですよ。
 たぶん、最後まで読めば、誰の独白か分かって、すとんと胸に落ちるのでしょうけど。
 物語の状況のかなりの部分が、登場人物の会話を通じて説明されています。
 それがまた、わざと勘違いさせる書き方から始めるしさあ。回りくどいっすよ。
 登場人物Aが説明するでしょ、登場人物Bがこうなのねと聞くとちょっと違うと言うってAが更に補足する。じゃあこうなのね、とBが聞くと、それともちょっと違って…が延々と繰り返されて。
 わたしは、えっ?違うの?えっ?違うの?と思いながら読んでいる訳で。でもそれが続きを読みたいという衝動を弱めないどころかかえって強めている不思議。たぶん、この回りくどさを排したら、長さは3分の1以下、魅力は5分の1以下になると思います。
 だんだん分かってくる、という感覚は、(少なくともわたしにとっては)読書の喜びの一つです。一定間隔で落とされたパンくずのように、わたしと前に進ませる餌としての新情報は、ラストまで満腹させず、なおかつ空腹で卒倒させないよう、生殺しの絶妙なペースで与えられていて、昼ごはんも食べず日が暮れるまで読みふけってしまった。すっかり手のひらの上だなあ。
 もちろん作品全体でペース配分が計算されているはずですが、京極作品では、1場面単位でもあざといぐらいに計算されているような気がする。
 だから(不必要なまでに)長いんだー。そうに違いない。
 と言うようなことは、こちら(id:ityou:20060908 id:ityou:20060930)の情報管制の話を読んで思いました。
 こちらで語られているのは、tRPGでマスターをする場合のお話ですけれども。