『ユナイテッド93』--着陸する気なんかないんだ!

 2001年の同時多発テロでハイジャックされた4機目の飛行機の物語です。
 あのテロは、ある大国の政策を大きく変え、玉突きのように関係諸国の運命を変え、世界はまだ揺れ動いていて収まるべき点に至っていない。
 肉親を突然の悲惨な事故で失った人々が冷静になるには、5年では足りないのではないか。思い出すのが辛くて、映画を作って話題になんかしないで欲しいと願った遺族もいたんじゃないか。
 歴史として語るのにも、物語として語るのにも早すぎるのではないか。
 この映画のことを知った時に、最初に思ったことです。


 この映画のことは、「町山智浩アメリカ日記」で知りました。
 id:TomoMachi:20060514


 ラストシーンは想像がつきます。
 でも、でも、もしかしたら。
 ポスターの絶賛の言葉を見るに、美しいラストシーンに粛粛と涙を流すことになるんじゃないか。
 甘かった…
 最後の場面で画面は突然暗転し、ややあって、 淡々としたテロップ--「管制がユナイテッド93のハイジャックに気がついたのは墜落した4分後だった」(映画と違ってないか?)「その時に最寄りの戦闘機は、100マイル離れた地点にいた」--以下、当日の対応が遅かった事実を簡単に述べ、スタッフロールへ。
 えっ、これで終わりなの!?
 映画によってさんざん感情を揺さぶられた(おもに恐怖で)観客に対し、平和への祈りの涙(あるいはテロへの怒り)などの情緒的におさまりのいい着地点は示されませんでした。
 つーかなんのフォローもなく、混乱したままで放り出された思い。
 ちょっぴり(いやかなり)腹を立てて映画館を後にしたのですが、後から考えが変わりました。
 思えば、純粋に「運が悪かった」としか言いようのない体験の、「人生における意味」を解釈すること(=人に語れるようになること)は、生き残り、なおかつある程度時間が経過してはじめてできることであります。
 生還者なしの、歴史としても思い出としても生々しすぎる題材に、安易におさまりのいい類型化されたオチをつけることを、制作者は、あえて、自粛したのでしょうか。
 またそれは、当事者の体験と似たところがあると推測される、とか言ってしまっていいのだろうか。


 パンフレットにはこんなことが書いてありました。
 映画を製作するにあたり、積極的に遺族と連絡を取ったそうです。
 まず手紙で映画製作の意図を伝え、登場人物のプロフィール作りへの協力を要請したそうです。(結果、ほとんどの遺族が協力を申し出、実際にインタビューに応じてくれたそうです。)
 キャスティングが決まれば遺族にも報告し、俳優たちの何人かは、遺族と実際に会って話すこともしたそうです。
 製作期間中も、ニュースレターで進行状況を知らせていたとか。
 上で、「思い出としても生々しすぎる」と書きましたが、十二分に配慮していたようです。
 むしろ、この映画の製作に協力することが、遺族にとって慰めになったかも知れない。


 ところで。
 員数外の人々、テロリスト4人組のキャラクタは、どのように決めたのでしょうか。
 と言うのも、4人のうち3人は粗野な狂信者風でしたが、リーダー格の人だけが、育ちが良さそうで学もありそうな印象を受けました。
 で、散々ためらうわ、激しくテンパるわで、こんな大それたコトをするタマには見えなかった。
 他の部分の細かい調査を思うと、彼らに対してもそうとう調査がなされたのではないかと想像されます。それをふまえてのこの設定だろうかと。
 その辺がパンフレットに書かれていなかったのがちょっぴり不満。かも。


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 id:Projectitoh:20060804
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