『秘神』--平凡な日常が浸食されてゆく。
秘神―闇の祝祭者たち 書下ろしクトゥルー・ジャパネスク・アンソロジー (アスペクトノベルス)
- 作者: 朝松健
- 出版社/メーカー: アスキー
- 発売日: 1999/03
- メディア: 単行本
- 購入: 7人 クリック: 49回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
おそらく編者の朝松健氏が作り出した街なのだと思いますが、千葉県は海底郡*1夜刀浦市がすべての作品*2に関係しています。
わずかなボタンの掛け違いから日常が異界に落ち込んでゆく過程は、出発地点が現代日本の身近な風景からはじまるだけに、肌に迫る怖さがあると思いました。
一ヶ所、ひどく受けた場面がありました。
朝松健氏の作品での地下の遺跡の壁画。
そこには魚偏の奇怪な漢字が上下百八文字、左右四百三十二行にわたって、びっしりと彫りつけられている。さらに、その周囲には精緻きわまりない描写法で魚とも章魚とも人間とも龍神ともつかぬ鱗まみれのものと、美しい裸女の交媾の有様が彫られているのだった。
これからは寿司屋であの湯飲みを見てもコズミックホラーについて想いを馳せてしまうこと請け合いです。朝松先生、責任を取って下さい…
朝松先生のアンソロは他にもいくつかありますが、解説や神話作品リストなどの「オマケ」も充実していて、それも楽しみの一つです。
この本の巻末のラヴクラフトから現代の作家までの流れについて、日本への伝来と発展について述べた解説がとても面白かった。図書館に返してしまう本なので、少し抜き書きさせて下さい。
<ホラー>とはかつて<怪奇>のことであった。(中略)常識を超えた「怪」しく「奇」なるものものによって日常が変容する。その瞬間こそがホラーの醍醐味だ。そこでは<恐怖>は本質ではない。<怪奇>によって引き起こされる衝撃に対する反応の、最も自然な形であるというに過ぎないのだ。
笹川吉晴「邪神崇拝者の肖像-我らが内なるクトゥルー-」
世界は全て論理と法則によって、在るべき方向に向かって秩序立てられており、それを逸脱するものは在り得ないもの、在ってはならないものとして徹底的に排除する近代化の思想が社会から多様性を奪い、状況を閉塞化して歪みを生み出すことを僕たちは身をもって経験してきたし、今もさまざまな形で思い知らされている。そして、社会が論理によってねじ伏せ、あるいは隠蔽しようとするこの歪みを<怪奇>という形で突き付け、人間本位の浅薄な合理主義の傲慢さを露わにするのが、非合理な<ホラー>が本来持つ機能だったはずなのだ。
<ホラー>とは<怪奇>という想像力の光を照射することによって、現実社会の陰に隠された異貌を束の間浮かび上がらせるためのシステムである。光とは、別の言い方をすれば"視線"だ。つまり<怪奇>というのは、世界を想像力によって読み替えていく僕たちの視線のありようなのだ。
笹川吉晴「邪神崇拝者の肖像-我らが内なるクトゥルー-」
そうだよ!グロが見たいわけじゃないんだ!
と、グロ苦手なクトゥルー神話ファンのキモチを代弁してもらった思いでした。
笹川氏はオーガスト・ダーレス*3を高く評価しているようです。
つーかこの解説を読むと、ダーレスがすごく格好良く思えます!
クトゥルー神話作品が書き継がれる限りラヴクラフトは死なないと信じ、自分の作風に合わないのを承知で神話作品を書き続けたダーレス。
どの出版社にかけ合っても断られたラヴクラフトの作品集を出版するため、自ら出版社を起こしたダーレス。
自身は焼き直しのワンパターン作品を書き続けながら、若い作家にはオリジナルティを大事にするようアドバイスしたダーレス。
原理主義ファンから大罪人と弾劾されると知りながら、広く一般に受け入れられるようあえて神話を「通俗的に」整理したダーレス。
しかしこのダーレスと言う男、ラヴクラフトの存命中は「宇宙的恐怖のなんたるかをイマイチ分かってないよね」と評されていた"不肖の弟子"であり、11年にわたり文通を続けながら、ついに生前のラヴクラフトに対面がかなわなかった*4のだった…!
この要約(?)は、わたしのいい加減な誇張表現を含むので額面通り受け取らないで欲しいのですが、解説本文のダーレスのくだりが力の入ったものなのは本当です。読んでいるうちに「プロジェクトX」で取り上げたらさぞ面白いものになるだろうなあ、と思ってしまいました。
不肖の弟子と、呼ばれた。 遺稿を抱え、奔走した。 本を出してくれる出版社は、なかった。 ダーレスは、言った。「先生の遺稿を散逸させてはいけない」 「自分たちで出版社を作ろう」
サブタイトルは「ある不肖の弟子の戦い 神話よ永遠なれ」とかどうでしょう。
最後に、ダーレスについてもう一ヶ所引用を。
ラヴクラフトの作品の生命を保ち、永遠に世に留めるため、ダーレスはクトゥルー神話を書き続けた。それは彼にとって、遂に見えることのなかった師と唯一繋がりを持つことができる、幸福な仮想の共同作業だったのではあるまいか。彼の神話作品のうち、半数近くがラヴクラフトの遺したメモを基に書かれた「合作」作品であるという事実がそれをよく示しているように思える。
笹川吉晴「邪神崇拝者の肖像-我らが内なるクトゥルー-」
ダーレス…お前ってヤツは…
ああ、しかしそのダーレスが、↓でタイヘンなことに!